福井生まれの美しき「青石」。

笏谷石は、約千六百万年前の火山活動で降り積もった灰が固まってできた火山礫凝灰岩です。
主に、福井県福井市の足羽山麓一帯で採掘され、なかでも北西側山麓部の笏谷地区からの石質が優れていたことから、
笏谷石という名称がついたとされています。また、降雨や打ち水などで水に濡れると美しく深い青色に変化するので
別名「青石」とも呼ばれ、薄青色できめが細かいものが上質とされています。



福井の歴史を語る、笏谷石。

約千五百年前、5世紀第二十六代継体天皇は歴史の表舞台に登場した最初の福井人です。
継体天皇が育った当時の福井の地は全国有数の農業生産力と朝鮮半島など海外との交流により極めて古Eい水準の技術や
文化を有し全国屈指の国力であったと伝えられています。継体天皇が九頭竜川の治水や笏谷石の採掘等を薦め、福井の発展に
偉大な業績を残されたことを顕彰するために、明治十七年、内山基四郎を中心にした石エ達が4メートルを超す笏谷石の
継体天皇石像を建立しています。
戦国時代に越前国を支配した朝倉氏の一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)からは、笏谷石の石仏や石塔類のほか様々な生活用品なども
多く出土しています。安土桃山から江戸時代にかけては、笏谷石は城の士台や石垣に用いられ、築城文化に大きく貢献します。
柴田勝家が築いた半木半石の九十九橋、北庄城の石瓦、柴田 勝豊の丸岡城石瓦などがあります。さらに、日本海海運を担った
北前船によって、笏谷石は各地の湊を中心に、北海道の小樽(倉庫の基礎石、敷石)や青森津軽地方(津軽藩主の石廟)
高岡(基礎石や敷石、石塀、国宝瑞龍寺の石廟)など広範囲に流通していきました。



誕生 『蘇生笏谷石 福井の輝き』。

現在、笏谷石は採掘されていません。それに伴い、古墳時代から受け継がれてきた笏谷石は、人々の記憶から忘れ去られ
ようとしています。今日失われつつある福井独自の石文化を後世に伝えたいと『蘇生笏谷石福井の輝き』シリーズは
誕生しました。県内の古民家で眠っていた笏谷石を収集して、古来からの越前 福井の石文化を「器」として再生。
新しく生まれ変わった笏谷石が、再び、人々の暮らしに息づき、未来へ受け継がれていくことを願ってやみません。